「息もできない」監督記者会見採録

『息もできない』ヤン・イクチュン監督来日記者会見 2010/01/29

監督:何人かもう顔を知っている方もいらっしゃるので、自分の住んでいる町に帰ってきたような気がしています。『息もできない』が、日本で公開されることになりますが、特に私の方から映画の説明をする必要はないような気がしています。皆さんがすでに映画をご覧になっていますし、観客の方々が映画をどう思うかは、観客にまかせ、自由に観てほしいと思っています。観たくない人に私が強要して「観ろ」と見せるわけにはいきません。私は、この映画と出会った人たちと良い交流ができればと思っています。映画の中には暴力的なシーンもありますが、家族についての色んな悩み、苦しみを抱えている人たちが、この映画を観て何らかの可能性や光を見出してくれたら嬉しいです。

●今回、長編を自主制作したことで見えた韓国映画界の良い点と問題点。そして、それが世界で評価されて純粋に思ったことを教えてください。

監督:今、自主制作とおっしゃいましたけど、自主的にこういう映画をつくるということは非常に難しいことでした。かといって、一般の商業映画が簡単につくれるというわけでは決してありません。どんな映画でも映画を一本つくるということは非常に難しいことです。この映画において私は、個人的に持っている物も含めてすべてを捧げないと映画を完成させることが出来ないという程の困難を経験しました。でも、商業映画で素材を外から与えられるのでなく、自分の表現したいものを表現するという自由を、この映画では得ることができました。利益のための手段としての商業的な映画ではなくて、自分の表現のための映画をつくることができました。韓国でもこういう記者会見や舞台挨拶で、私が「映画は観たい方だけが観てください」というような発言をすると、「何なんだこいつは」という反応をされたりしたんですけども、私にとって、今回この映画をつくるということは、誰に観てもらうというためでなく、私の中にあるものを吐き出せる、という点に意味がありました。ですから、これから、この映画をどう観るかというのは、観客の皆さん次第なんです。
海外の映画祭にいくつか行きましたが、ロッテルダム映画祭に行ったときに、ある中年の観客が私にこう言いました。私が「韓国のある家族のことを描いた映画が外国でも評価されるのが不思議だ」と言ったら、その人は「家族という問題テーマは全世界的なテーマで韓国に限られたことではなく、我々みんなの問題、誰もが感じることができる」と言いました。どの国にも色々な問題があるでしょう。そして、その問題の多くは、家族から始まっているのではないでしょうか。家族に困難を与えるもの、それはいわば社会からくるものだと思います。家族を構成する父たち、母たちに影響を与え、がんじがらめにしているのは社会でしょうし、そういうしがらみから脱却していきたいというのが、この映画をつくった私の気持ちでもありました。例えば、実際にその国に行ってみなくても、私たちは北朝鮮の住民達が抱えている生活的な困難などを知っていますよね。韓国に来たことがない方でも、映画で描かれている韓国の家族が抱えている問題や、それぞれの国が抱えている問題に、観ている人たちが抱えている問題と重なり合うのを、この映画を通じて、感じるところがあるのではないでしょうか。

韓国映画界のシステムに対しての不満、または良い部分などをもう少し聞かせてください。

監督:韓国の映画システムに不満はたくさんあります。これは日本でも同じなのではないでしょうか。でも、不満を不満で終わらせていては、何も新しいものは生まれませんし、その不満、問題に対して、打ち勝たないと新しいものを生み出すことはできないと思っています。その不満を、社会や国にだけ押し付けて要求するだけでは、変わらないのではないでしょうか。監督、スタッフのひとりひとりが努力していくことによって、環境を変えていく力を持つのだろうと思っています。韓国では映画にとどまらず、文化というものをお金に換算してしまうような風潮が強くなっていますが、文化はお金に換算して計るものではないと思います。文化は文化自体として意味がある、ということにするためにも人間ひとりひとりが文化を文化としてみていく視線を持つことが必要でしょうし、もっと言えば文化は人自体なんだと思います。

●自分の中から取り出したことを作品にしたことで、監督自身の親に対する気持ちだには何か変化はあったでしょうか。

監督:まず、とても単純なことに私は思い至ったんです。自分というのは大切な人間で、自分は周囲から愛を受けてもいい人間なんだと思い至りました。自分の中で生き難さというか不満をずっと抱え込んでいると、それが積み重なって腐ってしまいます。体にできた傷が膿をうむことを考えてみればわかると思うんですが、裂けて膿が出たら治療をして薬を塗ることも出来ます。でもそれをずっと抱え込んでいたら悪い方向に行ってしまいます。私の場合、自分が抱え込んできたものを外に出していく回路として映画というものがありました。映画という回路を用いて自分の中の鬱屈したものを外に出すことによって、先程言ったような、これまで自分という人間は恥ずかしいものだと思ってきたけれど、自分だって大切な人間なんだ、自分だって自由に話してもいいんだ、自分を恥ずかしがる必要はないんだ、そんな風に考えることができる自由をこの映画から得ることができました。私の友人たちも、そう言ってくれた人が多かったです。また自分の父や母の世代の人間がこの映画を観れば、非常に不愉快だと感じてもおかしくないと思うんですが、それでも多くの人が共感してくれました。東大門(トンデモン)市場の商人たちは、40代、50代、60代くらいの方が多いんですが、そういう市場の商人の方たちがこの映画を好んでいるという話も聞きました。また別の例をあげると、実は私の父が、この映画を観てから髪を伸ばし始めたんですね。私の父や母の世代というのは、当然、若者がチャラチャラ髪の毛を伸ばしているのを見れば「髪を切りなさい、短くしなさい」と言う世代で、私の父もそういう人でした。それが、どういうわけかこの映画を観た後、髪を肩くらいまで伸ばし始めたんです。それ自体は、取るに足らない変化かもしれませんが、仕事一筋で仕事以外何も考えてこなかった父親が、自分のことを考えていいんだ、自分の望む外見にする自由があるんだ、自分の幸福を追求してもいいんだということを父親も感じてくれた。この映画がそのひとつの契機ではないかと思っています。映画を観たみなさんからも「良かったよ」「そういう風に自分も思ったよ」というメッセージをたくさん頂きました。

●昨年は、『息もできない』公開でとても充実した年だったと思いますが、昨年を監督が一言で表すなら何が当てはまるのかということと、今年、挑戦してみたいことを教えてください。

監督:昨年は、一言で言ってクレイジーな年でした。本当に狂ったように時間を忘れて没頭した年でした。幸福な瞬間もありましたし、疲れ果てた瞬間もありましたけども、本当にこんなに忙しく過ごしたことはありませんでした。それに比べて今年は、日本にキャンペーンできたのは2回目ですけども、このキャンペーンを頑張って、その後に何をしたいかと思えば、何かするためにはこれがやりたいという欲求がまずなければいけませんよね。これからはお酒を飲んだり、運動したり、恋愛をしたり、色々やりたいことはあるんですけど、全て映画以外のことをやってみたいです。というのも、この映画に自分の全精力を費やしましたから、当分はゆっくりとしたいという風に個人的には思っているからです。ですから、今年は一言でいうと休息の年にしたいです。みなさんも忙しい中、休みたいと思うんじゃないでしょうか。私も休みたいと思います。

青竜映画祭の時に監督が別人のように格好いいスーツ姿だったのですが、あの時の受賞の感想を教えてください。

監督:私は映画祭に行くときも、どこでも今日のようにラフな格好で行くんですね。青竜映画祭もこういう格好で行こうとしたんですが、女優のコッピさんと一緒に入場してエスコートしないといけないので、女優さんがドレスだし、ジャンパー姿では女優さんに申し訳ないということで正装しました。正装すること自体ものすごくストレスだったのですが、正装して出ました。その格好を見て友人たちから「お前のアイデンティティは疑問だ」(笑)と言われたのですが、私自身、ちょっと混乱した気持ちで映画祭に出ました。レッドカーペットを歩くときはやることもないので、(中指を立てる)こういうポーズをして歩いたりもしました(笑)。私にとって映画で賞を獲るということはそんなに大きな意味はないんです。それは幸い色々な賞をもらって無感覚になってきているところがあるのかもしれないし、あるいは映画をつくることに全精力をかたむけて、自分の中のものを出し切ってしまったからかもしれません。もちろん受賞することは大変光栄で嬉しいことですけども、同時にそのことは特別ではないという感覚も一方ではあります。

●監督自身が一番好きなシーンは?

監督:全部気に入ってます。特別どのシーンが気に入っているかというのは今、思い浮かびませんが、どの部分がというよりも感情を爆発させる、極端な感情をドーンと出していく部分がとても快感でした。撮影が終わった後、この映画は編集に6ヶ月間かかったんですが、ネガをカットする小さな編集室で、編集者と二人、あるいは自分ひとりで6ヶ月間ずっとこもってこの映画を見続け、数えきれないくらい自分のこの映画を見続けて、それで少し麻痺した部分があるのかもしれません。それでも実際に劇場で映画がかかったときには、観客と一緒に観て、笑い、泣き、感動しました。でも、どこが一番かとなると、見すぎて麻痺しているのか、どこがというのは難しいですね。日常生活では、自分の感情をそんなには爆発させることは出来ないと思いますが、日常生活で出来ないことを映画の主人公を通して爆発させることの快感というのはありますよね。みなさんもカラオケで歌うとか山に登ってヤッホーと叫ぶとか、女性と別れた男が壁を拳で殴って感情を発散させるということがあると思いますが、そういう風に自分の感情を表現する、これは他人に迷惑をかけない、被害を与えない範囲内においてなら、自分の感情を最大限に表現することの快感があります。映画の場面で感情を出すことには意味がもちろんあるわけですが、意味を離れた部分でも、自分の感情を発散させることの快感がありました。

●映画の中の家族間の暴力が凄くリアルに感じました。映画で暴力を描くというのは難しいことだと思うのですが、撮影の時に気にしていたこととか、描く上で監督が意識していたことがあれば教えてください。

監督:かわいらしい表現をしていては、自分の中の鬱屈したものを出すことはできませんから、こういう映画になったわけですが、あくまでも映画の中の話ですから、私が周りのスタッフを殴っていたわけではありません(笑)。私の場合、自分がつらいときには、部屋の明かりを暗くして、悲しい歌を聴いたほうが慰められる性質で、友人が来てくれても「つらいだろう、頑張れ」と言われるよりは、「自分もこんなんにつらかったんだ、こういうつらいことがあったんだ」と言ってくれるほうが慰められるというところがあるんです。映画の中の家族間の暴力を描くというのは、自分にとってもすごくつらいことではありました。しかし、皮肉なことだと思いますが、映画の中で行使される暴力を見て「あっ暴力だ、怖い」と思うかもしれませんが、逆に暴力を行使する人を哀れに思う気持ちを感じたり、あるいは暴力を行使する、暴力を行使される人々を観ることによって、自分がある意味で慰められるというアイロニーもあると思うんですね。
この映画では、スタントマンを雇うことが出来ず、アクション監督もいなかったので、殴る場面は、自分が振りをつけるか、俳優同士が話し合ってやったわけです。幸い事故もなくアクション場面を撮り終えることができましたが、私は映画を撮るときに何テイクか撮るにしても、いちばん最初のテイクに最大限の感情を入れて最大限のテンションでやってくれという風に言うんですね。もし、そのテンションが、その場面が必要とするテンションをオーバーして溢れていても、それは削れば済むこと。しかし、最初のテイクでその場面が必要とするテンションに満たないときは、それを上げていくということは非常に難しいわけです。ですから私は、いちばん最初のテイクで自分の最大限の感情をそこに入れて爆発させろという風に俳優たちに言っています。もちろんそれは、事故が起らない範囲内で最大限のことをやれと言っているんですけど。例えば具体的に言うと、この映画のヨニ役のキム・コッピさんが、私が演じたサンフンをビンタする場面があったのですが、最初に本気で最大限の力を入れて引っ叩いてくれれば一度でOKだったんですが、アクションをかけても彼女はどうしても力を入れて殴れない。それでNGになり、「本当に大丈夫だから、死にはしないから」と言っても彼女はなかなか殴れないで何度もやるということもありました。そういうところが大変でした。この映画はリアルに見えなければならないのですが、よく見れば殴っている場面で、実際にタッチしている、ぶつかっているところが映っている場面はそんなにありません。殴っている人間のアップ、殴られている人間のアップ、その表情、その感情で表現している部分が多いんです。それを実際にリアルに見えるようにするには、感情を入れることだと思います。もし、それがなければニセモノに映ってしまったでしょうから、瞬間、瞬間の感情を巨大化させるということに演出上は神経を注ぎました。

●この映画はすごい映画になるぞと確信しているところがあったのではないかと思いますが、それはこもって編集作業をしていたときなのか、撮影のときなのか、もしくは脚本を書き上げたときなのか教えてください。それと初号試写の時の周りの反応を教えてください。

監督:自分は特別な人間ではない、普通の人間だと思うんですね。普通の人間がつくったこの映画は、そんなにありえない話ではない、普遍的な話だと思います。ですから、普通の話を普通の人間がつくったのであれば、これは観る人が共感してくれるのではないかという微かな感覚はありました。そういうことはあるのではないでしょうか。人との出会いでも、目を見て少し話しただけで、この人いい人じゃないかな、相手も私のことを良く思っているんじゃないかなという、何の根拠もないのに、そういう最初の感覚が持続して、恋人同士になったり結婚したりするわけで、そういう最初の感覚というものはあると思います。この映画を最初に観客に見せたのは、プサン映画祭だったのですが、そのときの反応はとても良かったですね。映画をつくる人間というのは、シナリオを書き終えていざ映画をつくってみると、シナリオ段階で思っていたことや自分の頭の中にあったことも曖昧になってきて、不安になって感覚が掴めなくなっていくものだと思います。そんな風に不安になって、感覚が掴めなくなったときは、シナリオに取り掛かった当初に信じていたひとつのことを梃子(てこ)にしてなんとか最後までつくっていくという作業が映画をつくる作業だと思うんです。それでも、映画を撮り終わって、編集が終わっても、ポストプロダクションが終わっても不安な感覚というのを拭い去ることは出来ません。取り掛かった当初にあった、いけるんじゃないかという感覚ひとつに頼って、不安でよく道もわからないながら、なんとか最後までもっていくわけですけども、ようやくいけるんじゃないかと分かるのは、観客と出会ったときです。ですから、プサンで観客と出会うことによって「ああ、これは共感を得るんじゃないか、うまくいくんじゃないか」ということを感じました。その時に私が感じたのは「これは悪くない映画だな」ということ、私の心の中にあった真実を正直に出せたんじゃないか、自分もそんな悪い人間じゃないなということを感じましたし、スタッフも俳優もプサンで観て初めて、そう感じられたのではないでしょうか。
それから、いろいろな国の映画祭に行って、この映画が受け入れられたなと感じるのは、映画を観る前に私と会った監督たちが、観る前は何の関心も示していなかったのに映画を観たあとには主人公が常に口にしている汚い言葉「シバロマ(クソ野郎)」を、私に向かって言ってくると「ああ、これは映画を好んでくれたな」と思うんですよね(笑)。昨年、台湾のホウ・シャオシェン監督が映画を観た後におごってくれたことがあったのですが、その時も監督が私の顔をチラッと見て「シバロマ(クソ野郎)」と言ったので「ああ、ホウ監督も喜んでくれたな」と。会う人ごとに「シバロマ(クソ野郎)」と言われて私は気分が良かったですね(笑)。「シバロマ」は、非常に悪い言葉なんですが、周囲の環境によって教育を受けることもできず、社会の底辺に押しこめられた、この映画の主人公サンフンは「シバロマ」という言葉で会話をしているわけです。ですから、いろいろな方々が「シバロマ」という言葉の中に彼が含めた感情とか内容を理解して、そう言ってくれるんだなと私は思いました。